躊躇う

触れれば壊れてしまうのではないか。そんなことを思うのはとても馬鹿らしいけれども、そのときは本気でそう思っていたのだ。彼はとても強く頼りになる存在なのに、時折ひどく繊細で、薄いガラスを加工するときのような緊張感と恐怖感に晒されるときがある。自分が嫌われるだけならまだましだが、何かの拍子に存在ごと崩れ落ちてしまうような。
「壊してほしい」
なんて、そんなふうに言われたら、握られた手を握りかえしていいものなのか戸惑ってしまう。そもそもその発言の意図を測りかねるというのもあるのだが、彼に壊せないものなど何もないはずだ。自分に頼むほどのそれは彼自身なのではないか。だからと言ってボクにできるだなんて思わないけれど。
「壊れたら、戻らないんだろ」
……そのはず、だけど」
「どうしてそんな顔するんだ、ビルド」
本当に理由がわからないという顔だった。王ならぬ神は人の心がわからないのだ。正確にはもう神の力は持っていないのか。いや、だからこそ人の身にもどうにかできるのかもしれない。目眩がしそうだ。
……ん? 待てよ……違う」
「なにさ……?」
シドーは何やら考え込むような表情で、ボクの手を握る力を強くしたり弱くしたりしたが、離しはしなかった。何をしているのだろう。不意に子どものような行為に毒気を抜かれてしまう。
「あのな、傷を……つけてほしくて」
気恥ずかしくなったのか語尾は半分消えていた。いやいや待て。もっと物騒な話かと思ったのにそれか、と感覚が鈍くなりそうになる。規模が違うだけで言っていることは変わらないし、それが難しい願いには違いなかった。
「どうして」
……知らなかったんだ。身体のキズは残ることもあるのだと。オレはもちろん、オマエも傷ついたら治ってたからな」
「それはいつもキミが守ってくれてたから……軽い怪我で済んでただけだよ。キミの身体も、きっと人よりかなり丈夫にできてるだろうし……って、そうじゃなくて」
尋ねた本人から話題を飛躍させそうになってしまい、慌てて口をつぐむ。彼が話してくれようとするのを止めてはいけない。
「だから、オマエの手で。オレに……痕を、残してほしいんだ」
それは自分では気づいていないだろう、とても純粋な願いの込められた言葉だった。人ではない彼が願うのは人と同じように生きたいということ。そのことすら、彼自身は微塵も考えていないだろうけれど。
もし痕が残るほどの傷をつけられたら、彼は慟哭するのだろうか。それとも堪えるのだろうか。好奇心に似た考えが思い浮かび、理性が欲を押しとどめる。
……か、考えておくよ。いつになるかわからないけど……
「ああ。楽しみにしてるぜ」
ただ自分の気休めにしかならない言葉に、シドーは驚くほど綺麗に笑った。