人は何かを追い求めることで生きている。そう思うようになったのは、彼を見ていたからだ。一見なんの欲もなさそうに見える人間ですら、ただ生きるということだけを求めている、のかもしれない。人間というのはとても奥が深く、そして同時に興味深い。しかし果てがあるものでもなくて、だからこそいままで知ることを避けていたのかもしれなかった。もちろん知識にも果てはないが、ほとんどどんな疑問にも答えが用意されているから。
何をしているかというと、物語を読んでいた。人が書く物語は、多かれ少なかれ書いたものの思想や趣味嗜好が現れている。信仰も例外ではない。どんなに自分を排除しようとしても、どこかに現われ出でてくるものだ。
「また本を読んでるのか」
「読み聞かせでも、して差し上げましょうか」
「勘弁してくれ。それよりも……」
「何か?」
「……いや、なんでもない」
サンクレッドは本の表紙をちらりと見ると、ひととき複雑そうな顔をしたが首を振った。何か思う部分があったのだろうか。まだ読んでいる途中ではあるが、この本に記された物語は、ありふれた騎士物語であった。
騎士は王に仕え、神への信心も深く模範的な人物だったが、ある日出会った美しい女に心を奪われたがゆえに変わっていってしまう、という内容のようだ。自分の持っている何もかもを捨ててしまえるような、愛というものはいったいなんなのだろう。それほどまでに強い想いが、空想ではないこの世界にも存在しうるのだろうか。考えずにはいられない。
そんなことを考えながら一度本の中身に視線を戻して、再びサンクレッドのほうを見ると、テーブルの上に置いてあるなんらかの書類になにやら書きつけ、忙しげに席を立つところだった。
「サンクレッド。もう行かれるのですか」
「ああ、邪魔したな。砂の家の執務長さん」
男は冗談めかして言う。よくその唇で女性に語っていた愛というものについて、訊いてみたいような気がした。しかしどうしてか彼の口から正しい答えが出てくるとは思えなかったし、少し訊きたくないような、不思議な感情が頭の隅でちり、と音を立てる。そうして開きかけた口を閉じ、代わりに別の言葉を紡いだ。
「任務のご武運を」
「ありがとう。行ってくる」