長らく、その気持ちがなんなのか理解していなかった。少し悔しいような、それなのに嬉しいような不思議な感覚。ともすれば泣きたくなるような。
「仕方ないな、お前は」
そう言って抑えきれない笑みをこぼした。付き合ってやるよ、と付け加えると、その若干自信なさげだった表情が綻ぶ。以前のこの男なら、そもそも人に手伝いを頼むということを選択するかどうかも怪しいものだった。それが自分に正面からものを頼んでくるとは。
頼まれたのは資料探しの一環だった。もちろんウリエンジェと俺は専門分野が違うので、いくら奴の知識量が化物並みだとしても、もとより視点が違う。そんな視点の違いから、有用な資料があるかどうか見てほしい、というのがたっての願いだ。
正直なところ活字を読むのは昔から苦手だったが、その表情を見ていたらなんとなく、断る気も消え失せてしまった。俺としてもこの世界のことは知りたいし、という大義名分もある。
「ありがとうございます。では、僭越ながら此方に……」
「ああ」
その横顔はどこか浮かれているようにすら見える。それはもしかしたら俺の勘違いかもしれないが、この男も少しずつ変わっていっているのだ、と心のなかで思った。なんだかんだ長い付き合いになってしまったが、あの冒険者と出会って、色々なことが起こって、俺たちは変わらざるを得なくなった。いつしか互いに好意を寄せるにまで至り、こうして以前は別々に行っていた作業も共に行うようになった……のかもしれない。
それからはしばらく、二冊分の紙の擦れる音だけが、静かな部屋に響いていた。俺は何ページかをぱらぱらと読み、途中のいくらかを読み飛ばしつつ、使えそうなものを机に積んでいく。ウリエンジェの方を一瞥すると、彼は驚くべき速さで活字を追い、時折顎に手を添えて悩むようにしながら、ある程度で本を閉じると同じように仕分けていった。そんな時間が過ぎていき、ついに仕分ける前として積んでいた本が尽きる。
「……こんなもんだな」
意外とそう辛くない作業だった。むしろ、たまにやる分には悪くないとさえ思える。並べられた歴史書や伝承の本を一瞥してひとつ伸びをすると、妙に緩んだ男の顔が目に入った。
「どうかしたのか、ウリエンジェ」
「……いいえ。どうか、お気になさらず」
「もしかして、変わったな、なんて思ってるか?」
なんとはなしに口に出してから、もしかしたら案外的を射ているかもしれない、と思う。そして案の定、目の前の男は驚いたように細い目を少し見開いていた。しばしそんなふうに視線をぶつけあっていると、ふいにウリエンジェは口元を弛めて柔らかな笑みを浮かべる。驚くほど綺麗な微笑だった。
「ええ。本当に、あなたは以前より変わられました。そして、この私も……」
「……いつかは、変われていない……なんて言っていたがな」
「……ええ……良く、記憶しておりますよ」
いつもの落ち着いた調子で、追憶するように呟く。恐らく初めてキスをしたようなあの日を、互いに少しだけ思い出しながら。思えばあれより随分と遠くにきてしまったが、どうしようもないように見えるこの世界も、この男と……もしかしたら、あの子が居れば。欲をいうなら、あの英雄もいてくれたら、どうにかなるかもしれない。サンクレッドはそんな風に思いつつ、椅子に腰をおろした。