「取捨選択というものは、知能ある生き物にのみ許されたそれ自体が便利な道具だ」
くるりと手の中のペンを回して、何かしらメモに書きつけながら男は言った。その端正な顔には冷酷な笑みが浮かんでいる。
「だが、そこにひとたび感情という異物が混入すると、道具は進むべき道を阻む障害物になる。お前は理解していると思っていたが」
「……君から見れば、そうだろうな」
はああ、と大きく溜め息をついた。文字通り全身黒に包んだ男は、資料棚から白いラベルのついたバインダーのひとつを取り出すと、ぱらぱらとめくる。それは鉱石病による人体への影響に関する研究資料の一部だ。これを書いたのは恐らくロドスにいるオペレーターの中の誰かなのだろうが、いったい誰なのだろう。署名のない文字を追いつつ、執務室のソファに腰掛けた背の高い男を一瞥する。
「君こそ、いつもならもっと直接的に言うのに。らしくない」
仕返しじみて言うが、それを受け取ったエンカクは恨めしげな視線もどこ吹く風といった様子で、なおもメモに何かを記している。
「すべてを救うことはできない。だからこそ、選ばなきゃならんのだろう。他でもないお前が」
歌うように、詩のように、低く呟いた。怒っているのだろうか、とドクターは思う。このサルカズの刀術士はなぜか自分にだけ感情を露わにするのだと、いつか人事部の人間に聞いて驚いた覚えがある。確かに他のオペレーターと交流している様子はあまりないし、いまいちそうしているイメージも湧かない。だからと言ってなにに怒っているのだろう。ときどきわからないこともある。
「わかっているのか? あの小僧はもう助からない。それに、チェルノボーグは俺から見てもひどい戦場だった。あれをやったのは、タルラとかいう女だけではないだろう?」
「……別に、救おうというのではない。彼は極めて珍しい状態になっている。貴重なサンプルだ、こう言えばいいか?」
「フン……まあいい。お前があの少女に感化されているのではないかと、少し思っただけだ」
含みのある言い方だ。記憶を失う前のドクターを知っているという彼は、時折距離感がわからなくなる。遠いのか近いのか。遥かに遠ざけられているのか、気づかぬうちに肉薄されているのか。
「心配してくれているのか?」
「まさか。足を掬われるのなら、それまでということだ」
その唇は、どこか愉しげに歪んでいた。