人が人を好きになる瞬間はいつなのだろうか。そもそもそのような瞬間は本当にあるのか、ともに過ごしていて気がつけば執念に近い情念を抱いていた、というのが恋愛感情なのではないのか。だんだんとわからなくなっていた。始まりがいつであり、どれだけ深いところまで潜ってしまったのか。まだかろうじて呼吸はできている。それでも、ふたりでいるときは少しだけつらくなる。この感情に終わりはあるのだろうか。
「祐介」
俺の名を呼んだ声はどこか暗かった。暗いとは違うのかもしれないが、少なくとも明るいものではない。遅れて、長めの袖ごと片方の手首を掴まれる。そして空いている方の手で顔を横へ向けさせられた。よく掛けている似合いの眼鏡は外していて、視線が直に交じりあう。
「また、難しいこと考えてたか」
「いいや、……またとはなんだ、またとは」
「そういう顔してるときは、いつも人のことを難しく考えてる」
「んん……?」
思わず首を傾げた。いつも、などと彼は言うが俺には心当たりがない。そもそも難しく考える、という概念がいまいちよくわからない。
考えているうちに、不意を打って唇を奪われる。すぐ近くにある長い睫毛にどきりとした。やはり彼は美しい。鳴呼、初めてそう感じたときすらも、いつだったのか思い出せない。しばしそうしていて、満足したのか身体ごと離れると、彼はしかし不機嫌そうに言った。
「考えてたのは、俺以外のことか?」
「っ……そんなことはない」
反射的にそう答えてしまい、彼が微笑んだのを見て、胸の奥が締めつけられるように感じた。頰が熱くなる。いまの彼の表情、それに対して一瞬おぼえたこの感情はなんだ。元凶自身に訊いても教えてくれたことはない。ふたりでいるときにのみ起こる現象なので、他の仲間たちに訊くのも憚られた。ふと彼は視線を外すと、机に置かれた時計を見る。
「……もうこんな時間か。駅まで送っていこう」
「ああ……いつもすまないな」
答えを得られないまま、そんな時間もすぐに終わってしまうのだ。詫びの言葉を入れながら、俺はまた少し思考の海に身を投げ出していた。
「おい、祐介」
彼は俺の肩をぽんぽんと叩いて現実に戻してくれる。その口調は先ほどより優しかった。