バッドステータス

盗賊はそのとき久々に、状況の理不尽さに嘆息した。大概のことは持ち前の能力でなんとかしてきたが、人間、もしくは生き物としての本能の前では如何ともしがたい。それにしてもこの動悸と下腹部の熱はどうして起こされたものなのだろうか。
……………………わからん」
テリオンは寝台に横たわっていた。しかし仰向けではなく横向きで、必死にその感覚と闘っている。考えられる原因は無論魔物と闘ってしくじり、毒を受けてしまったことだが、それはあの口数の多い薬師が作った薬で中和できたはずだ。彼の性格はともかく、腕の確かなことはテリオンも認めるところだった。その証拠にあの傷口から侵食されていくじわじわとした痛みがなくなっている。その代わりに、普段はほとんど意識したことのない部分が主張を始めているのだけれど。
……はあ」
仕方がないと息を吐き、布団の中でそれに手を伸ばした。どうにか鎮めてやるしかない。服越しに触れるとびくりと小さく震えた。そのときタイミング悪く、がちゃりと音を立てて人の気配が現れる。思わずテリオンはそれから手を離し、息を潜めた。気配自体はよく知る男のものであったが、やろうとしていた行為が行為だったからだ。
「起きたか? テリオン」
……薬屋」
絞り出すような声が出て、テリオン自身も少し驚いた。アーフェンは青年の意識が戻ったことに喜んだが、その声の様子に気づくと声のトーンを落とす。
「もしかして、ちゃんと効かなかったか」
「いや……そんなことは、ない」
「それにしちゃ、ずいぶん辛そうだが」
眉根を寄せたアーフェンが寝台の横に腰を下ろすと、テリオンはその鎖骨に目を奪われた。そして心配げな顔の下にある首筋、喉仏。
……いいから……ほっといてくれ」
どうしようもなく、目の前の男に欲情していることを自覚しながら、それを抑えて言葉を吐く。いくらか感情ならば制御してきたのに。性欲を抑えるのは女より男のほうが苦手だという話をどこかで聞いたが、ほとほと厄介なものだ。
言いはしたものの、このお節介な薬師が素直に退いてくれるとは思えなかった。しかしなんとかせねば、このままでは恐ろしいことになる。予知に近い予感だった。
「そういうわけにはいかねえよ。いいから、もう一回診せてみな」
「っ……!」
布団を剥がそうと伸びてきた手首をがしりと掴む。が、結局角度の問題であり。テリオンが手を伸ばしたせいで、掛け布団が半分剥がれた。
……あ、……えーと……だな」
腕を掴まれたまま、アーフェンは視線をめぐらせてテリオンを見る。下半身のそれは、同じ男であるという観点からでも無視できない代物だった。テリオンは滅多に動かない表情に焦りの色を浮かべ、この状況を如何に切り抜けるかを考えつつ、相手の顔を見た。
「おい……薬屋」
依然絞り出すような声をかけられ、う、とアーフェンは息を詰まらせる。心当たりがあったのだ。薬草には種類によってあらゆる効果が存在する。それを考えれば、この状況もありえないことではないと。
……顔に出ているぞ」
「う……
しかしあの魔物の毒に効く薬は、以前にも作ったしそのときは副作用の出ることもなく治ったはずだ。考えられるのは、分量を間違った、というくらいだろう。少し。
……わりぃ。俺としたことが、調合をミスっちまった」
……やれやれ……
そう言ってテリオンが手を離しつつ息をつくと、アーフェンは萎むように肩を落とした。
「間違いは、誰にでもある……俺は大丈夫、だ」
「でもさ……それ、辛いだろ」
……何を」
アーフェンは至極真剣に、細められたテリオンの右目を見つめ返す。そのまっすぐな視線はどこまでも純粋で、自分がその欲をより駆り立てているとは夢にも思っていないだろう。ずきり、と胸元が痛んだのは罪悪感なのか、心拍数のせいなのか判断がつかない。先ほど視界に捉えた首筋が、すぐに触れられる距離まで近づく。
……俺にできること、あるか?」
その言葉を聞いた瞬間、テリオンは本能的にまた手を伸ばしていた。シャツの襟を掴み、自分のほうへ引き寄せる。完全に不意を打たれたアーフェンは、わ、と声を上げて上半身を寝台へと倒れさせ、床に膝をつく。思わず閉じた目を開けると、すぐ近くにぎらりと輝く瞳があった。
「いいから……時間も遅い。もう寝ろ」
「あ、ああ……すまねぇ」
それだけ言ってテリオンは襟から手を離し、布団を頭まで被ってしまった。そうだ、これは簡単に他人が解決していいことではない。無神経なことを言ってしまった、と少し悔やむアーフェンは、とりあえず怪我の具合も良さそうなので様子を見つつ自分も休もうと決める。薬師に大事なのは、自らの体調にも気をつけることであった。

斯くして、盗賊は夜中に目を覚ます。先ほどは危なかったがなんとか自分を律して、無理やり目を閉じどうにか眠りに入ったのだった。思い出す。あの自覚なき自己犠牲の塊が、自分のミスに必要以上の責任を感じ、向けてきた切ない視線。結局のところテリオンはあれに対抗する手段がない。打算のない善意に触れてくることのなかった青年は、そういうものに滅法弱く成長してしまったのだ。
……ちゃんと寝てる、のか」
おもむろに起き上がると、緩慢に隣の寝台へ近づいた。そこでは子供のように無垢な寝顔が、すやすやと安らかに息をしている。何かあったときのためだろう、火を点けたままの小さなランプが、低い箪笥の上で微かにそれを照らしていた。僅かな明かりの下でもわかる白い肌。普段は後ろで括っている無造作に伸びた金髪。ごくり、と息を呑む音がした。
テリオンは、いつからかアーフェンという男に惹かれていた。どこで生まれたかもわからず、幼い頃からほとんど一人で生きてきた彼はもちろん恋などしたこともないので、しばらくは気づいていなかったが。成り行き上、この誰とでも仲良くなってしまうような青年と旅をするうちに、様々な人間と出会った。その中には家族のために生きる者、愛を求める者や、居なくなってしまった恋人を探す者もいた。それを眺めていてわかったのだ。認めようと認めまいと、自分は彼に焦がれているのだと。
治まったかに思えていた劣情が、ふたたび頭を擡げてくる。鎮められていなかったのだから、考えてみれば当然のことだ。それは意識した途端に頭のなかを支配して、テリオンは寝台に手をつくと掛け布団を半分捲り上げる。
……うー……
身体の上に掛かっていたものが剥がされたアーフェンは、眠りに落ちたまま呻きながら身を捩った。衝動のに突き動かされ、テリオンはその上に覆い被さる。どくりと心臓が鳴った。
慎重に上半身の衣服を暴き、その白い肌を露わにしていく。彼はまだ眠りの中で、触れてしまえばさすがに起きるだろう。その瀬戸際に胸が高鳴った。他でもないテリオンが自分を組み敷いていると気づけば、このお人好しはどんな顔をするのだろう。これまで他人に興味など持たなかった青年は、もはや自分ではどうしようもない欲望に駆られていた。
さほど育っているわけでもない、しかし引き締まった腹筋をなぞり、左胸に口付けた。空いた手を右胸へ持っていき、ふに、と軽く揉む。当然男のものなので平たいが、肉が無いわけではない。
「ん、……
いまだ目を覚まさぬ青年は、擽ったげに小さく声をあげた。その僅かな動きさえもいまのテリオンには致命的な毒であり、それは最後に残っていた理性を削り取っていく。一度は抑えたのにも関わらず、意識のない相手に対して自分は何をしているのか、という思考すら。
上半身を起こして、深く溜め息をつく。もう戻ることはかなわない。でも、どうなったって奴が薬の調合を間違えたせいにすればいい。自暴自棄な責任転嫁の念がぐるぐると渦を巻いた。
「薬屋」
低く呼んで、するりと頰を撫でた指で軽くそれを引っ張る。
「ぁ……え? い、いてて」
唐突に頬を抓られ、さすがに目を覚ましたアーフェンは微睡みのなかで相手を認識する。そのうちに、どうかしたか、と問いかけようとした唇が塞がれた。薄明かりが銀髪に遮られる。
「んむ——んんぅ」
キスをされているのだと、気づくまでまた少し時間がかかった。といっても秒に満たない数瞬だが、いまのテリオンはそれを待つことができない。呆ける唇に舌を差し込み、技術など知らないが本能のままに抉じ開けた。唾液の混ざる粘ついた水音が互いの耳を侵していく。手前勝手に相手の口内に舌を這わすと、一度唇を離した。
「ふは、……っ」
呼吸を阻害されたアーフェンが追いつかない思考のまま息を整えるうちに、テリオンは箪笥の上の小瓶に手を伸ばした。一か八か。迷わず蓋を開け、中身を口に含む。
「な、それ……!?」
どうやら予想は当たっていたようで、盗賊は薄く笑むと再び唇を奪った。アーフェンはもはや逃げることもできず、口移しで与えられる液体を飲み込むしかない。こくり、と喉が鳴る。細い指がその白い喉を撫でた。
……し、仕返しのつもり、か?」
「どうとでも」
効果が出るまでは少々時間がかかるはずだ。経験からそう思いながら、テリオンは服越しにアーフェン自身を撫でる。
「ひっ」
……ほう」
「な、なんだよ……
「いや。なにも」
「絶対なにか、……っ、ん」
既に硬さを持ち始めていたそれにまた笑みを浮かべ、躊躇なく下着の中に手を入れ上下に扱いていく。効きの違いがあるのかもわからないが、先ほどの口付けで多少反応していたのであれば、テリオンにとっては好都合だった。そして何より高揚する。普通に考えればアーフェンにとってテリオンはただの旅仲間であり、つまりは恋愛感情など抱いていない男のキスで欲情したのだ。この聖人にも似た青年が。
「っ、は……ぁ、うう……
斯様に見られているとも知らないアーフェンは手の甲で口を塞ごうとしつつ、呼吸の隙間から言葉にならない声を洩らす。どうしてこんなことをされているのかわからない。わからないが、テリオンの手の中にあるそれは硬さを増していった。ある程度のところで、テリオンは手を離す。
「んん、っなに」
「狙いはこっちだ」
腰に手を入れて軽く持ち上げると、一気に下着ごと服をずり下ろして脱がせた。普段はまず人前に出ない部分が露わになり、アーフェンは顔に熱が集まるのを感じる。基本は防犯のため同時に風呂に入るということもなかったので、互いにそれを見るのも見られるのも初めてのことだ。
「ぁ、ちょ、っと待てって……!」
反射的に隠そうと片方の手を伸ばすも指を絡めとられ、唾液に濡らされた人差し指が後孔へ入り込む。その指はゆっくりと、強引でありながら優しげに、中を押し拡げていった。
「ぅぐ……あ」
「薬屋、少しは力を抜け」
「はぁ、っ、ふ」
アーフェンには言葉を紡ぐ余裕がない。当然痛みがあるわけで、それでも先ほど飲まされた薬の効き目が出てきたらしく、身体の奥のほうで快楽を求めようとする本能がせめぎ合う。抵抗するべきか、このまま相手のするように任せてしまうのか。そのうちに、細い指先が弱い部分に触れた。
「は、……!」
声すら出ない、痺れるような快感。その微かな表情の変化に目敏く気づいたテリオンは、普段はほとんど動かない口角を上げる。アーフェンはぼんやりと、良い獲物を見つけたときの顔と同じだ、と思った。
テリオンはより増大する欲を抑えながら、じっくりと拡張を進める。盗賊に必要なのは慎重さであり、忍耐強さであった。薬指が入ろうかという頃、それらもかなりすり減ってしまっていたが。どうにかそんな自分との闘いに勝ち、テリオンはすっかり渇いた喉から声を絞り出した。
「挿れる、ぞ」
「え、ッあ”!?」
考えてみれば数時間と前から屹立して先走っていたそれを、拡げた中に押し入れていく。丁寧に解したとはいえ十分な潤滑剤もないのだから、痛いに決まっているだろう。先ほど飲ませた薬がうまく効いているといいが、と願う思考には未だそれだけの理性が残っていた。
「う”あ、あ……っ、く」
濁った声、に混じる少しばかりの嬌声。きつく締め付けられる感覚。昨日まで普通に接していた男を犯しているという状況が、目眩を覚えるほど非日常に感じる。すべて薬のせいであり、ひいてはこの男のせいだ。そう思いながら、テリオンは本能のまま腰を進める。ついでに空いた手でアーフェン自身も刺激してやると、悲鳴に似た声が短く洩れ聞こえた。
……悪いな、もう……我慢できそうも、ない」
「ぇ、や、ああッ……!」
ずる、と一度中ほどまで抜くと、ひと思いに奥まで貫く。それからはひたすら、相手のことなどお構いなしに抽送をくり返した。なにも考えられず、ただ気持ちいいというだけで。
「ぅあ……テリ、オン……っ」
……アーフェン」

目覚めに上半身を起こしてまた、盗賊は理不尽な状況に嘆息した。自業自得だとも言え、しかしそう言い切るのは簡単ではないと彼は思う。昨夜の記憶は途切れ途切れだったが、なにが起こったか、自分がなにをしてしまったのかははっきりとわかっていた。この隣で眠っている男が、妙に安らかな様子なのが理解できないくらいに。いや、なぜか律儀に後始末までした記憶がある、とかそういうことではなく。
このまま逃げてしまおうか。いまなら面倒なことにならずにすむ。などと悶々と考えているうちに、眠る男の瞼がゆっくりと開いて瞬いた。
……んん? テリオン、なんでここに……
昨夜の疲れからかはわからないがまだ覚醒しきっていないらしく、ぼんやりとした目で呂律のあやしい台詞を喋りながら、アーフェンは身体を起こす。そして乱れたままの自分の衣服を眺め、徐々に頬を上気させていった。
……ああ、……ええと」
「待て……なにも言うな」
頭を抱えると、テリオンは彼の言葉を遮った。自分ですら言葉が見つからないのだ、なにを言われたとて返すこともできない。そう、一番いいのは互いに忘れることだ。口に出そうとして、顎を掴まれ横を向かされた。頰が赤いままの真剣な顔にまっすぐ見つめられる。
……これだけは、教えてほしい」
「なにを……
「好きだ、って言った」
どくり、と心臓が鳴った。まだ薬の効果が残っている——のでないことは、目が覚めたときからわかっている。なにかがおかしい。以前からアーフェンと接するときに感じていた違和感が、どうも良くない方法で形になったらしい。なによりも問題なのが、テリオン自身は自分が言ったらしいその台詞をまったく覚えていなかった。
「それは、俺の間違った薬のせい……なのか?」
どこか切ない言葉。疑問を口にしながら、答えが是なのか否なのか、知りたくないが知りたいという瞳。本人はいたって真面目なのだろうが、それこそが彼という人間の持つ魅力であり。
テリオンはその頰に手を添えると、震える唇に自分のそれを重ねた。
「ん? んぅう……!」
昨夜したように深く口付け、舌を絡めるとアーフェンはなにか言いたげに相手の胸を押したが力がうまく入らない。ひとしきり楽しんだテリオンは唇を離し、生理的な涙を滲ませ荒い呼吸をする男を眺めた。その熱を持った視線が、答えになっていないと訴えている。
……これで十分だろ」
「き、昨日、あそこまでしといて……そりゃないぜ」
「あれは……薬のせいだ」
「ぐぐ……
自分に非がある部分を突かれた青年は、その生真面目さのためになすすべもなく押し黙った。それを依然眺めつつ、テリオンは今更の疑問をぶつける。
「というか、気色悪い、とかないのか? 普通」
……遅いぞ、それ」
問われ、ふっと視線を下へ外すと、アーフェンは人差し指で未だ赤い頰を掻く。
「なんだろうな……最初はびっくりしたけどさ。……好きだって言われて、あんたならいいかなって」
その台詞に、テリオンのなかで朧げだった記憶が少しだけ蘇った。丁度普段は呼ばない名前を呼んだときに、勢いで確かに言っていたのだ。その言葉を、それを聞いた男の、微かに笑ったことを思い出した。
……物好きだな」
「伊達に一緒に旅してねえよ」
捻くれた返事にまっすぐ返して、アーフェンは再び寝台に上半身を横たえる。そしてテリオンに背を向ける形で、顔を半ば枕に埋めた。
「あと……傷も、治ってるみたいで良かったぜ」
……仕事熱心なやつだ」