クリスタリウムではきっと夜通し宴が続くだろう。その中心にいる英雄のことを想いながら、サンクレッドはふっと笑った。初めて会った頃は自分の力もわかっていない風だったのに、ずいぶん成長したものだ。などと少し偉そうに考えてしまう。自分自身もまた、彼に返しきれないほどの借りを作ってしまっているのに。
「……静かだな」
「はい……」
放っておけば何を言い出すかわからないこともあり、喧騒から抜け出すときについ連れてきてしまった。風に当たりに行こう、と手を握ると、彼は素直に頷いたのだった。元々人付き合いが得意ではないというこの男は、それでも場を楽しんでいたことはわかっている。だとしても息抜きは必要だ。もちろん人付き合いに慣れているサンクレッドにも。
いまはクリスタリウム中の人間が酒場に集まっているために、エーテライトのあたりまで来るとその騒がしさもすっかり遠ざかり、まるで街が眠ってしまったように錯覚する。それどころか、この世界にもう自分と彼の二人しか存在していないような。訥々と考えていてふと手を握ったままだったことに気づき、サンクレッドは慌ててそれを離した。それを特に気にした風もなく、ウリエンジェはエーテライトを眺めてほうと息をつく。
「不思議なものですね」
「何がだ?」
「違う世界だというのに、我々の世界と同じものが存在する。名は違えど同じ種族が暮らし、闇を取り戻した空もまた、我々の世界と同様のものです」
「ああ……」
そうだ。第一世界にきて随分と時間が経ったが、何かと走り回るのに夢中で忘れていた。ウリエンジェもこちらに召喚されてすぐの頃から研究を始めたというから、同じ感覚だろうとサンクレッドは思う。当たり前のことは当たり前になってしまったときから、興味の対象ではなくなる。ただ、その当たり前にこそ目をつけるのが彼のような探究者というものなのだろう。改めて自分とはまったく違う人種なのだと考えさせられる。
「それでも、貴方という人間はひとりしかいなかった」
「……何を言いだすんだ、急に」
「ふと、気になったもので」
そう言うと、ウリエンジェはサンクレッドに微笑みかける。眩いエーテライトの光を背に受けたそれはあまりに綺麗で、サンクレッドは反射的に目を背けた。
「私たちの世界の英雄と、アルバートという光の戦士の関係。そしてミンフィリアとリーンの関係と同じように……この世界にも、私や貴方のような存在がいたかもしれない。そんな風に、考えてしまうのです」
まあ、彼らはやはり特別かとも思いますが……と苦笑いする男は、やっぱり掴みどころがない。いわゆる恋仲になってそれなりに時間を経たサンクレッドにも、常に予想のつかないようなことを口に出してくる。ウリエンジェのそういった部分が、ある種こちらからすれば興味深く、不思議と魅力に感じるところでもあった。
「命は、遥か古代においてはひとつであった。魂は分かたれ断片となり、エーテルをめぐり……肉体を得て、私たち、あるいは鏡像世界の人々という存在になった……」
視線を外したどこか夢見るような瞳と、謡うような語り口。それを眺めながら、ふとサンクレッドは目の前の男が、いつか光の少女に御伽噺を語り聞かせていたことを思い出した。
「……例えば、こんな風にも考えられませんか?」
ウリエンジェは問いかけると、ふわりとサンクレッドの手を取る。一体なんだ、と虚をつかれた顔で目を瞬かせる相手には構わず、ぐっと顔を近づけて唇に触れるだけのキスをした。
「私と貴方が……元々はひとつの存在だった、と」.
「……そりゃ、ぞっとしない話だ」
笑って答えながら、それなら頭と手足というのも、あながち間違いではない……とサンクレッドはぼんやり考えた。微笑する瞳から気恥ずかしさに目を逸らして見上げた空には、所狭しと星が瞬いていて。天の暗き海とは、ずいぶん詩的な表現だ。あの海を漂うものたちも、元々大きなひとつだったかもしれない。目の前の男が何を言ってもそれらしく聞こえてしまうのもまた、彼の持つ人間的な魅力のひとつだ。手を握られたままやれやれと肩をすくめる。
「お前、酔っているだろ」
「……決して、そのようなことは」
言葉とは裏腹に、図星を突かれたようにぱっと手を離す。いつもなら結構素直に認めるのだが、珍しく自覚がないのだろうか。目元を少し上気させながら、ウリエンジェは続けて、それでも訥々と呟いた。
「いえ。……ええ、少々……そうですね。浮かれている、かもしれません」
「浮かれているだと? ……お前が?」
それこそ驚きだ。というのも失礼だが、この男が好きなのはどちらかといえば静寂で、ああいう場では冷静なほうだと思っていた。サンクレッド自身はどちらでもなく、久々に大掛かりな宴を楽しもうと思った矢先に水を差された側なのだが。
眉根を寄せるサンクレッドのことなど気にする素振りもなく、ウリエンジェはどこか遠い目をして、柔らかな声色で言った。
「今宵は、良い夢が視られそうです」
「……そうか」
ともすれば無邪気な笑みと、その後ろに輝くエーテライトの青い光を眺めていると、確かに自分もそんな気がした。決して短くない時間をこの世界で過ごして、色々なことを知って。出会いがあり、別れがあった。
闘った末に戻ってきた風景は、結局あちらにいた頃となんら変わらない。サンクレッド自身もウリエンジェも、アルフィノやアリゼー、あのヤ・シュトラでさえも、この世界で少なからず何かしらの変化を得たというのに。世界というのは、自分たちのようなものでは計り知れないほどに大きいのだ、と思う。
「その中で、変わらずにお前と居られる……というのも、いいかもな」
ああもう、こんなことを言ってしまうなんて、この妙な雰囲気にあてられたのかもしれない。クリスタリウムは幻想的だ。原初世界におけるクリスタルタワーはモードゥナのあたりにあったという話だが、レイクランドがあの地域を思わせる風景なのもまた、鏡像世界の持ちうる共通点……なのだろうか。ともかくサンクレッドは自分の発言にどうも照れくさくなり、身体ごと視線を逸らした。
「……なあ、そろそろ戻るか? 変に詮索されるのも嫌だろう」
「詮索……? はて、何に対するものでしょう……」
視線を戻せば首を傾げるウリエンジェは本当にひとかけらも心当たりがないといった様子で、やれやれと肩をすくめる。詮索するような奴もいないだろうとは思うが、相変わらずこういった人の心の動きには疎いらしい。そのことにすら、やはり何も変わらないのだと思わされる。
サンクレッドは少し伸びをして、考え始めたウリエンジェを横目に見ながらぽつりと呟く。
「それとも、このまま部屋に戻るか」
「……いいえ。恐らく、それは叶わぬ行為でしょう」
言葉に返答するウリエンジェは不意にふっと笑みを浮かべ、その瞳はサンクレッドを見ておらず、焦点はその背後に合っているようだった。
サンクレッドがそれに気づき後ろを振り向くと、そこには赤い髪の少女が佇んでいる。
「……リーン」
こんなに静かで人気がないのに、足音にも気配すら気づかなかった。自分としたことが。サンクレッドの中に若干の焦りが過ぎったが、それは自身が不器用ながら教え伝えた技術の成果であることに思い当たり、なぜか居心地の悪いような、どこか満ち足りたような想いが喉を過ぎて胸にたどり着く。
「ウリエンジェ……ずっと、気づいてましたよね。黙っていてくれて、ありがとうございます」
「偶然ですよ。そう、本日の私は……少々浮かれておりますので」
「まったく人が悪いな、ふたりとも」
呆れた口調で言うと、少女と男は互いに顔を見合わせて悪戯っぽく笑った。
「サンクレッド、部屋に戻っちゃうんですか?」
「お前はまだ寝ないのか?」
「本当は、少し眠いんですけど……でも。もう少し、皆さんと一緒にいたくて……」
リーンははにかみながら、未だぎこちない調子で望みを伝える。その様子がどうにもいじらしくて、夜なのに、いや夜だからこそか眩しく見え、サンクレッドは目を細めて口元を緩めた。自分も歳をとったものだ。
「……皆のところに戻るか。ウリエンジェ」
「ええ。喧騒は遠く、しかし確かに存在している……」
酒場の方に目を向けて、恍惚と詠う男にはやはり違うものが見えているのかもしれない。サンクレッドは素直に嬉しそうに笑うリーンを見遣りつつ、行こう、と促した。エーテライトのある広場を出るといっぱいに広がる空には月が煌々と輝いており、その周りできらきらと星が瞬いている。前を歩くそれに気づいた少女が感嘆の息を洩らした。少女を眺める二人は同様に眉尻を下げ、どこか寂しげな笑顔を浮かべていた。
世界は滅亡の危機から救われ、自分たちはいずれ元いた場所に帰らなければならない。互いにそれを思い出して、同じように胸を締め付けられていた。