「戻ったら、お話があります……」
三体目の大罪喰いを倒し終えて後、クリスタリウムへの帰路でウリエンジェはそうサンクレッドに耳打ちした。ランジートと文字通り死闘を繰り広げ、冒険者やリーン、当のウリエンジェと大罪喰いを討伐したサンクレッドは、確かに蓄積された疲労や痛みとアドレナリンの残り香にぼんやりしつつ、前を行く冒険者らの背中を眺めていた。
「説教でもするのか?」
「……そういうわけではありません。ただ……」
ウリエンジェは言い澱む。やっぱり説教されるのか。サンクレッドは特にウリエンジェから説教された経験もないのにそう考えながら、疲れ切った身体で歩を進めた。アリゼーとヤ・シュトラ、リーンが前で何やら楽しげに話をしている。アルフィノと冒険者はそれを微笑ましげに眺め、いかにも相棒といった雰囲気で歩いていた。
「……ミンフィリアのことを、訊くのですか」
「なんだ、藪から棒に」
「視線を追えば、自ずと」
先程の調子は何処へやら、どこか飄々として言う。誤魔化し方が下手なのに、なぜか不快感は感じなかった。サンクレッドは短く嘆息する。
「それとも、彼に好意を抱いていると?」
「……何を言うんだ、何を」
前を歩く連中はお喋りに夢中で、聴こえていないらしいことに胸を撫で下ろした。年頃のアリゼーなんかは特に聴かれたら不味いだろう、と想像して身震いする。軽くいなされるか掘り下げられるか、どちらにせよ分が悪い。若い女性はいつだってそういう話題に敏感で、強いのだ。
ウリエンジェはそれ以上何も言わず、ただリーンのどこか弾むような背中を眺めていた。レイクランドの空は暗く、星の瞬く中に煌々と蒼に輝くクリスタルタワーが見える。第一世界に渡ってきて数年と経ったが、住めば都とはよく言ったもので。サンクレッドはその風景に、安堵の念を感じていた。
コートを脱ぎ、ハンガーにかけ——さすがに汚れているので、明日は洗濯に出そう——横で天球儀の手入れをしているウリエンジェのことはさておき、サンクレッドはベッドに身を投げ出した。今日は本当に疲れた。ペンダント居住館には少し前に戻ってきたはずだが、数年離れていたときと同じくらい懐かしい。クリスタリウムの纏う雰囲気は不思議なもので、活気があるのに厳かだ。騒がしい中でも秩序が保たれている。この街に生きる、ひいてはこの世界に生きるものたちの強さなのだろう、とサンクレッドは思った。それゆえに、この終わりかけていた世界の中でも安心感がある。宵闇が見たくなって、身体を半ば起こして窓の外を眺めていると、背の高い影が視界を塞いだ。
「傷を——診せてください。サンクレッド」
「いや……それは、お前たちがしっかり治してくれただろう? いまは疲れただけで、怪我はもうないよ」
「いいえ」
ウリエンジェは俺の隣に腰を下ろしながらきっぱりと、サンクレッドの返答を切り捨てた。
「……貴方は、いつもそうなのです。強く在ろうとすることは、決して悪いことではありませんが」
ひたり。先ほどまで金属に触れていた冷たい手が、サンクレッドの頰に触れる。疲労に火照った身体にはその低体温が心地好い。指先は首筋へと降り、ウリエンジェの頰にあるのと同じ刺青をなぞる。サンクレッドはというと、射抜いてくる琥珀色の瞳から視線を逸らすことができなかった。
「それだけは、何も変わっておりません……以前から」
「.…….お見通しだ、とでも言いたいのか?」
はあ、と溜め息をつくサンクレッドの背中に腕を回して、膝を折ったウリエンジェは、その身体を抱きしめた。
「私は、あなたを労いません。窘めもしない。ただこの体温をもって、あなたを——あなたの存在を。認めていたい」
そう綴った声は少しだけ震えていて、ああこの男は、とサンクレッドは口元を緩める。彼はこの世界に来てから占星術師となった。占星術は運命を切り開くものと、いつかシャーレアンにいたころ聞いたことがある。盾となった自分とは違う方法で、仲間を守ろうとしていたのだ。
「ごめんな」
命を捨てようとすら思ったあのとき、恐怖がなかったとは言えない。しかしあの娘たちのために戦えるならば、と目を伏せてしまった。あの日に父親を喪ったアシリアが感じたことを、彼女らにもまた味わわせてしまったかもしれないのに。
広い背中をぽんぽんと叩きながら、この男もまたそれを感じるひとりだったのだ、と思った。彼もまた、すでに幼馴染の女性を喪っている。それこそ捨て身の覚悟で、遺されたものもあって。世界に残された方は、いつだって辛い。残す方は無念なこともあろうが、それ以上何も感じずエーテルに還っていくのに。
「彼の方とて……リーンも、あなたを喪うことなど望んではいない。それをこそ、覚えていてください」
「……わかったよ」
も、と言っている言葉の裏に自分が隠れているつもりなのは、目の前で気を遣わせまいとする彼なりの優しさか、それとも無意識か。どちらともありえるのがそら恐ろしいところだ。
「本当に、怪我はもうよいのですか」
「大先生のくせに心配性だな。アルフィノたちや自分の腕を信じろって」
「ならば、……もう少し、こうしていても」
なるほど、そういうことか。本当、見かけによらず可愛らしいことを言う男だとサンクレッドはされるがままに思う。恋人だからと贔屓目に見ているのは否めないが、こればかりは仕方ない。そうでなければ、この行為自体を許してはいないだろう。
首筋に頬を寄せながら、肩越しに今度こそ窓の外を見た。閑かでどこか冷たくて、それでもなぜかふわりと包み込まれるような。まるでこの男のようだ、と過ぎった考えをばからしいと目を閉じる。
ウリエンジェはサンクレッドがそんなことを考えているなどとは思いもせず、その体温にだけ意識を傾けていた。